ミレーの歴史
ミレーは1930年代に初のショルダー ストラップ付きのバッグを販売し、 その名を知られるようになった。 数年後にそれをバックパックへと進化させると、 フランスのブランドとして一躍有名になる。 山岳向けのテクニカルな製品開発によって 強化されたミレーのブランドイメージは、 何世代にもわたる山岳家達から のサポートを受け、確固としたものとなっていく。
創業期
1921
始まりは、キャンバスバッグ
マルク・ミレー夫妻が、フランスのリヨンにほど近いサンフォンで生産工房を開く。ここでキャンバス生地のトートバッグが作られた。
1928
ミレー、アルプスに移動
アネシーにビジネスの拠点を移す。
1934
フレーム付きのバックパック誕生
ミレーが山頂へのルートを開く。
発展期
1945
より速く、より高く、さらに深く
レイモンドとルネ・ミレーが家業を継ぎ、若き登山家ルイ・ラシュナルとの共同開発により、高山向けの登山用バックパックの開発を開始。
1950
史上初の8,000m峰制覇
1950年6月3日、ルイ・ラシュナルとモーリス・エルゾーグによるアンナプルナ初登頂。彼らはミレーの「アンナプルナ50」バックパックを装備していた。
1959
チーム・スピリット
ミレー、初のテクニカル・アドバイザーとして、ワルテル・ボナッティを採用。
1963
偉大なる功績
ワルテル・ボナッティに続きルネ・デメゾンがグランド・ジョラス北壁の冬季初登攀に成功。
ミレー、山頂に向けて
1964
新素材、ナイロンの使用を開始
綿より軽く防水性が高いナイロン素材を全般的に使用した初のバックパック、「シェルパ50」を発表。ミレーが独自に開発し、特許を取得した斬新なストラップもナイロン製で、フォームの入ったパッドが付き、縫い目がないのが特徴だった。
1977
山が呼ぶ時
ミレーの素晴らしい業績が、アウトドア衣料に革命をもたらす。ミレーがGore-Tex被膜を使った初のパーカを制作。高機能ダウンも初めて共に使用された。
1978
世界初・エベレスト無酸素登頂に成功
ラインホルト・メスナーがミレーのチームに加わる。同年、ミレーの装備と共に人類初のエベレスト(8,848m)無酸素登頂に成功。
1982
エトランジェ、ミレーを着て登攀
ミレーが初のクライミング用ウェアを発表。製品開発にはクライマー達も参加した。
アルプス・トリロジー
1987
トリロジーシリーズ誕生
ミレーチームのフランス人登山家、クリストフ・プロフィとエリック・エスコフィエが、アルプス三大北壁を有するマッターホルン、アイガー、そしてグランド・ジョラスへの冬季単独連続登攀に挑んだ。その偉業を讃え、ミレーのフラッグシップシリーズ「トリロジー」が誕生する。
1995
ミレー、ラフマグループの一員に
1995年2月6日、ミレーはレーサーとガメのグローブメーカーを吸収。フランスのバックパック市場を先導していたアルプスエリアに基盤を持つラフマ社の傘下に。
2001
エベレストを猛スピードで滑降
マルコ・シフレディが、エベレストのチベット側壁(8,850m)を、北壁のノートン・クーロワール経由で滑降。型にはまらないフリーライダーをスポンサーした初のケースだった。
山を愛する人のため
2003
ミレーによるレーシングイベント開催
スキーと登山の競技会TSF (Tournette Sources du Fier) -Milletを初開催。2日間で5,000mを降下するイベントは、山岳愛好家の間で大人気のイベントとなる。
2007
ミレー、探検家たちの夢を実現
ミレーエクスペディションプロジェクト(Millet Expedition Project)を開始。世界中の探検家たちをサポートし、個人もしくは共同で、山岳、スポーツ、冒険に関する計画をサポートしている。
2009
世界最古のガイド協会・シャモニー・ガイド協会と提携
アルプス山脈最高峰モンブラン山の登山口であるシャモニーの街で活動する、世界最古と言われる由緒ある山岳ガイド協会、シャモニーガイド協会との提携を開始。協会には250名ものガイドが所属しており、過酷なフィールドでミレーの製品テスト行うなど、ユニークなパートナーシップを組んでいる。
2012
デザインの大切さ
ミレーはエベレスト・ブーツとULZジップジャケット製品でL’observateur 国際デザイン賞を二つ受賞。
2013
イノベーションの最高峰に
新しいスキーツーリング用のマトリックス・バックパックが、金賞を受賞。革新的な連結式のバックシステムと超越したデザインが受賞の決め手に。