PLAY! #わたしらしく山を楽しむ

PLAY No,08

登山家見習い

Eko Noguchi

野口 絵子

2019年10月から、野口絵子さんはニュージーランドの高校に留学している。

日本を離れるとは言え、数ヶ月に1度の休みで帰国すればそれほど寂しくはないと考えていた。が、
「その次の年からコロナ禍が始まってしまって、1度ニュージーランドから出国すると再入国が難しいかもしれない、っていう状況になっちゃったんです。そのまま日本に帰るか、コロナ禍がおさまるまでニュージーランドにいるか。随分迷ったんですけど、せっかく来たんだし私はニュージーランドに残ることにしました」

そんな事情もあって、2022年7月の帰国はなんと2年半ぶりとなった。

「中学もイギリスの学校に行っていたので、ずっと前から『次に日本に帰ったらやりたいことリスト』っていうのを作ってたんです。行きたいところとか、食べたいものとかを書き連ねてたんですけど、ニュージーランドに行ってからは追加されるばっかり。だから今回の帰国は、そのリストを消化するのを楽しみにしてました」
 とは言え、思っていた量の半分もこなすことはできなかった。想像を超える忙しさだったのだ。
「父と本を出したんです。そのトークショーやインタビューなんかもあって、思ってたよりもずっと忙しい1ヶ月でした」

『父子(おやこ)で考えた「自分の道」の見つけ方』は、父である登山家・野口健さんとの共著として2022年春に出版された。

「2019年の夏に、父とアフリカのキリマンジャロに登ったんです。山に行くとふたりでいる時間も長いし、同じ目的に向かっているので気持ちが近くなっていくんですよね。そのときにいろんな話をしたんですが、いつかお互いに考えていることを文章にまとめて本にできたらいいね、って言ってたんです」
 ところが、コロナ禍に見舞われて親子が会う機会は激減し、その計画は頓挫したかに見えた。
「父が、この期間をなにかするために充てよう、って言い出したんです。離れていても話はできるんだから、ふたりで話をして対談形式で本を作ろうって。昔からそうなんですけど、父は常に前を向いているんですよ。今できることは何だ? やりたいことはどうしたらできる? っていうのを自然体で考えてる人なんです」
 こうして実現した対談集の内容は多岐に渡る。野口健と野口絵子というふたりが、時には親子として、時には登山家の先輩後輩として、そして時には個人として、お互いの関係を振り返り、絵子さんの成長に沿ってそれぞれの考えを明らかにしていく。
 しかし、こうしてお互いを完全に認め合う親子関係も、最初からではなかったという。絵子さんは、
「小さい頃は父が怖かったです」
というのだ。

「仕事で家にいないことが多い。たまに帰ってくると、マナーやお行儀のことで厳しく言われて。遊びに連れて行ってくれるのも山なんですよ。
 私の初めての登山は9歳のときの冬の八ヶ岳です。積もった雪の中を必死に歩くんですが、寒いし、指先も冷え切って痛いしで泣いてしまって。それなのに父はどんどん先に進んでしまうんです。その背中を追いかけて、やっと追いついても父は笑いながら、私が泣いてる写真を撮ってるんです」
 今だから、と笑って話す絵子さんだが、子どもの頃の健さんは、とにかく怖くて厳しい人だったのだそうだ。では、健さんが優しいお父さんだったらどうだっただろう? 小さい子にも無理のない登山に連れ出し、娘が泣きだしたら背負って歩くような人だったらどうだっただろう?
「それはちょっと違う気がします。八ヶ岳に登った時、していい無理としてはいけない無理があるんだよって教わったんです。15歳になった2019年にキリマンジャロに登ったときなんですけど、かなり頂上に近づいた頃、夏なのに吹雪はじめて、登頂を断念しようかっていうくらい天候が悪くなったんです。そこで父は私に、絵子はどうしたい?って聞いたんです。私は行きたい、こんなに元気だし夢を実現させたいって、しっかり答えたつもりだったんですけど、父の目から見たらフラフラでだめかもしれないなっていう状況だったそうです。でも、だめなら自分がサポートするって考えて、父は私の判断を尊重して、私のやりたいことが実現するように力を貸してくれたんです。

1番最初にキリマンジャロに登りたいって言ったのは9歳のときで、

 父はその時から私をいろいろな山に連れて行って、精神的にも肉体的にも鍛えて、ある程度の経験をさせてからキリマンジャロに挑ませんたんだそうです。父なりに、私の夢を叶えるためのシナリオを描いて、それに沿って6年がかりで準備を進めてたんですよね。
 なんでも手助けじゃなくて、とにかく自分でやってみなさい、困ったら手伝うからやれるところまでやってみなさい、っていう人なんです。だから八ヶ岳でも寒いね、辛いねって優しく助けるようなことは絶対になかったと思います」
 娘だからかわいがるのではない。父はスキルや体力の差を認めた上で、娘を対等な人間としてみているのだ。
「父が厳しかったのは、いろんなものに真剣に向き合ってたからだと思うし、私を子ども扱いしなかったからだと思うんですよ。それにそうしたことが全部、繋がってるって思うようになったんですよ」

絵子さんは2023年の春から、日本の大学に通うことにした。

 2022年の春までは自分の進路ははっきり決まっていなかった。写真や演劇にも興味はあるし、登山にももっとチャレンジしたい。やりたいことは次々に浮かんでくるけれど、どれをとっても自分の将来につながる確固としたものには思えなかった。
「それが大きく変わったのは、ある大学をAO入試で受験したことがきっかけなんです」
 AO入試では、その大学で何をどう学びたいかという意志や意欲が尊重される。
「私は自分が何をしたいのかよく分からなかったんです。自分の進みたい道を明確にして書類にまとめないといけないのに、心は決まらない。なのに志望理由書の提出期限は刻々と迫ってくる。あ〜、私は自分の本心ではない作文で、進む道を無理矢理に形にしなきゃいけないの?って焦りました」
 しかし、焦っても物事は好転しない。それはこれまでの登山で身にしみて分かっていた。
「だったら私はこれまでに経験してきたことの中で、いちばん心に残っていることをいかそうって思ったんです」
 登山家の父の元で9歳から登山を始め、ネパールやタンザニア、マレージアなど4000mを超える山々を経験してきた。その中でもっとも印象的だったこと。
「ネパールの人のことでした」

「ヒマラヤに行った時、父が進めているNPO法人ピーク・エイドの活動を手伝ったんです。ピーク・エイドは子どもたちにランドセルをプレゼントしたり、学校をつくるお手伝いをしたり、清掃活動をしたり。いろんな支援をしているんですが、そこで私が見たのは格差だったんです」
 絵子さんは続ける。
「たとえばエベレスト街道のようなメジャーな地域の小学校は、世界中からの支援が行き渡って設備も整っています。けれど郊外の村外れの小学校では老朽化が進んでいるうえに、電気も通っていないんです。だから子どもたちは、明かり取りの窓の下に集って勉強していました。そういうのを見て、支援を受けている地域と受けてない地域っていう差があるっていうことにすごく違和感を感じたんです」
 その格差と同時に、絵子さんが考えてことがある。
「支援を受けて生活してる中には、もともと支援がないと生活できないくらい貧しかったり、支援が当たり前になってしまっているので精神的な自立ができないっていう人もいるんです。事情はさまざまですが、みんなが支援に頼り切りの生活を一生続けることはできません。だったら支援に頼らなくても自活できるようなことができないだろうか。たとえば編み物のような手工芸や名産品、そうした魅力的なものがネパール国内にはたくさんあります。それらが国際的にももっと高く評価されるようになれば、彼らの力で生活していくことができるんじゃないだろうか、って考えたことがあったんです。だったら商品の品質を上げたり流通を安定させたりすることを学びたいって思って、それをそのまま志望理由書に書きました」
 驚いた。わずか半年前には明るい将来を夢見る少女だったのに、今や格差や国際的な援助を見据える個人として未来を見据えている。絵子さんの成長ぶりには感嘆の声をあげるしかなかった。
「ありがとうございます。でも私にとっては特別なことではなく、本当に自然な流れなんです」

「これはもう、本当に何回感謝しても感謝しきれないくらいなんですけど、私は小さい頃からいろんな経験をさせてもらってきました。海外に行ったり登山をしたり、たくさんの人と会ったり話をしたり。そういう経験のすべてが繋がって、今の私を作っていると思うんです」

絵子さんの中では、山で学んだことがしっかり芽吹いているように思える。

 困っている人を助けるということだけでなく、自分の力で物事をこなす自立性をサポートしようとする。このことこそ、父である野口健が山を通して娘に伝えてきたことではないだろうか。
「そうですね、そうかもしれないって思います」
 と、そこまで話して、絵子さんは急に大きな声をあげた。
「もしかして! これって仕組まれてましたかね。こうやってお父さんがやってきたことを受け継ぐように、お父さんが仕組んでた??わ〜〜、だとしたら怖いですね〜〜」
 キリマンジャロのことがあるからな〜と、笑いながら絵子さんはこう続けるのだ。
「父はこれまでにユニークな経験をたくさんして、そのたびにそういう体験は人生ですごく重量な役割を果たすって感じてきたんだと思うんです。だから私が小さい頃から、いろんなところに連れていってくれたんだなって思います。
 ただ、その気持ちに頼り続けるわけにはいかないですからね。これから大学生になるし、もっと大人になって、自分の人生をしっかり自分で歩んでいきたいです」
 八ヶ岳で父が娘に先行したのは、積もった雪を踏み固めて、幼い娘が歩きやすくするためだった。そのトレースを娘が踏み外すことがないよう、父は常に背中越しに娘を見ていた。それが分かるようになったからこそ娘は、今度は自分でルートを拓いていこうとしている。
「でもそういうこと言ったら、きっと父は寂しくなっちゃうと思うんです。だからもうちょっとだけ頼って、甘えておこうと思います」

PLAY No,08

EkoNoguchi

野口 絵子

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